|
―舞踊の世界にお入りになったきっかけは?
母親が民謡をやっていた関係で、自分も小さい時から民謡を習ってきて、日本舞踊を始めたのは小学校に入ってです。 三味線も子供の頃からやってました。その延長ですね。気が付いた時にはやらされてたっていう感じですね。
日大の芸術学部に入って、舞踊の家で育ってずっと修行して来た人達と一緒になって、皆、家を継ぐために来てるんで カルチャーショックを受けましたね。自分なんか、父親と同じ仕事にはつきたくないと思ってましたから・・。
踊りを職業にしようと思ったのは大学を卒業する1年前。遅かったですね。 大学に入って同級生とか先輩に優れた人が多くて、「やめるならこいつらを負かしてからにしよう」って思ったんですよ。
演劇学科の中に日本舞踊コースっていうのがあるんです。 たまたま僕の上には、舞踊界で若手NO.1という方がいて、その方にとても可愛がってもらったんで、恵まれてました。
―芸名のいわれを教えてください。
寿太一郎という芸名は師匠の花柳寿太郎師に「一」を足したものです。師匠のお兄さんが岩井半四郎さんなんですが、男の弟子が皆岩井さんの方に行ってしまって、誰も残らなかったんです。そこへ僕が弟子入りしたものですから、実の息子みたいに可愛がってくれました。
―今どんなことに力を注いでらっしゃるんですか?
小さい子に教えていきたいという希望がありまして、今鶴川の保育園に教えに行って、僕の発表会で出てもらっています。 最近、日常の挨拶も出来ない子も増えていますし、着物というのを着る機会もあまりないでしょう。やはり、着物、足袋、お扇子って
いう日本の文化を体験させてあげるだけでも違うと思うんです。それから年一回ですが、 都内で耳の不自由な方達を招待して,台詞を全部手話でやって見てもらう、というのをやってます。見て面白さをわかってもらえれば、
歌舞伎にも何かの時に見に行ってくれると思うんです。相模原でも、そういう場所さえ設けてもらえれば、ボランティア ででも踊りを、色々な人に見てもらえるのにな、とよく仲間うちで話したりするんですよ。
|